日本ほど地震が頻繁に起こる国は他にありません。
世界中の地震被害の1割以上は日本か日本の周辺に集中しており日本の歴史は正に「地震との戦い」の歴史でもありました。
記憶に新しいところでは2011年の東日本大震災で2万人近くの死者・行方不明者が出てしまいましたし、1995年に発生した阪神淡路大震災では6千人以上、そして1923年の関東大震災では14万人以上の死者・行方不明者を出しました。建物の被害も甚大で阪神大震災では地震の揺れにより24万軒以上の全半壊の建物が出ています。
古くから大きな地震の記録は数多く残されており江戸時代にも宝永地震、安政の大地震など巨大地震が幾度となく観測されました。
特筆すべきは日本の大震災が周期性を持っている点です。
日本はいくつもの海洋プレートが沈み込む場所に位置していて一定の期間を経るとそのプレートが跳ね上がり大地震を引き起こすのです。
2011年に東日本大震災を引き起こした地震も明治・昭和と周期的に起きていましたし、現在発生が懸念されている南海・東南海・東海地震はおおよそ100年~150年の周期で必ず起こっています。
最後の東海地震である安政地震から150年以上、昭和東南海・南海地震から80年が経とうとしている現在、まもなく次の3連動地震が来るのではないかと言われており早急な対策が必要となっています。
大きな震災で甚大な被害が出るたびに日本の建築基準法は改正されてきました。
日本の耐震基準の歴史の始まりは「建築基準法」が定められた1950年と言えます。それまで市街地建築物法などで大まかな基準は決められていましたが、初めて耐震という概念が取り入れられたのがこの年です。
高度成長まっただ中の60年代には鉄筋コンクリート(RC)造りの建物が多く建設されました。しかし丈夫なはずのRC造の柱が1968年の十勝沖地震でせん断破壊され多くの被害を産んだのです。これを受けて1971年に鉄筋コンクリート柱のせん断破壊を防止するための改正が行われました。また底盤のない基礎が禁止され、コンクリートまたはRCの基礎にすることが義務化されました。
1978年には宮城県沖地震が起き、その多大な被害を教訓として改正されたのが1981年の新建築基準です。構造計算の方法が抜本的に変わり、壁量の計算方法や耐震設計の目標値も大幅に変更されました。この新耐震基準によって日本の建物の耐震制は大きく向上しました。
耐震を語る上で大きな転換期だと言えます。
その後、発生した1995年の阪神淡路大震災を受けて2000年にも建築基準法は改正されています。それまで地盤については法律で定められていませんでしたが、ここで初めて「地盤の強さに応じて基礎を強化する」ことが義務付けられました。
このように建築基準法の歴史は日本の地震との戦いの歴史でもあります。